10.報告-1


「沖縄から」

小舘 美彦

 2017年8月1日(火)から10日(木)にかけて、沖縄を訪問した。この10日間で様々な場所を訪問し、様々な体験をし、膨大なことを学んだ。訪れた場所をざっと挙げれば、辺野古米軍基地建設予定地、普天間基地ゲート前でのゴスペルを歌う会、高江のヘリポート基地、伊江島のヌチドゥタカラの家、ガマや旧日本軍司令部などの各地の戦跡、ハンセン病患者収容施設「愛楽園」、沖縄海洋文化館、神道の原形をとどめると言われる斎場御嶽(セイファウタキ)、平和祈念資料館、ひめゆり平和祈念資料館・・・である。これらにおいて学んだことを全て語ろうとするなら優に2時間は越えてしまうので、この中で米軍基地と戦跡にかかわることだけを報告したい。
 ところで、短期間でこれほど充実した訪問を行うことができたのは、ひとえに石原艶子さんを初めとする那覇聖研の兄弟姉妹たちの協力があればこそである。報告に先立って心より感謝を述べ伝えたい。

1.キャンプシュワブ・辺野古基地建設予定地

 辺野古の基地建設予定地があるキャンプシュワブのゲート前では基地建設反対のための座り込み運動がなされている(写真左)。期せずも、私もそれに参加する事となった。スクラムを組んで座っていると、警備員は「自分の意志で立ちなさい」と声をかけてくる。立つことを拒否すると3~4人の警備員から力づくで排除される(写真右)。このようなことが毎日繰り返されており、連日緊張した状況が続いている。

 座り込み運動は、基本的に日本のガンジーと言われている阿波根昌鴻らの作った非暴力不服従の方針(写真左)に従って展開されている。阿波根いわく、《軍人はもはや人間ではない、このような運動は人間でなくなった彼らに人間とはどのようなものかを教える紳士的なものでなければならない》。確かにその通りだ。武力に打ち勝つものは武力ではない。力以外の何ものかだ。事実、非暴力を貫けずに、力で抵抗した者は、逮捕されてしまう(写真右)。

 写真左の警備員たちは、警視庁の機動隊であることもあれば、沖縄を初めとする各県の県警であることもあり、アルソックの警備員であることもあると言う。私が訪れた日の警備は愛知県警の警官たちであると言っていた。いずれにせよ、彼らを毎日配置するだけでも、莫大な税金が使われている。写真右はサンゴ礁の海を埋め立てるための砂利を運んでくるトラック。座り込み運動は、主にこれらのトラックを阻止するために行われている。

 私が行った日は座り込み開始からすでに4854日目だった(写真左)。つまり約13年にわたって、基地建設を阻止し続けているのだ。このために基地建設はほとんど進んでいない。非暴力不服従の座り込み運動にも重大な効果があるのだ。右の写真は、基地建設予定地の立ち入り禁止海域。これほどに広いサンゴ礁の海を埋め立てるのには、いったいどれくらいの砂利と労力と費用と時間が必要なのだろうか。今までのペースからすれば優に20年はかかる。これで本当に国防の役に立つのだろうか。ちなみに、辺野古基地建設予定地の海底はサンゴの堆積からできているため、地盤がすかすかでとても飛行場の建設には向かない。その地盤を改良して飛行場を建てるとなれば、莫大なお金がかかる。さらには、たとえこの基地が完成したとしても、普天間基地がなくなるとは限らない。辺野古の飛行場では、狭すぎるのだそうだ。それでは、一体何のために辺野古に基地を作るのだろう。

 写真左は、埋め立てのための砂利の採石場。埋め立てのために使われる砂利は全て海を汚さないように洗ってから使わなければならないと法律で定められている。ところが、実際にはほとんど洗われていないことが明らかになった。洗うための水も時間も労力もないからだ。このことを、採石を請け負っている会社に抗議に行くと、「あれは下請けの会社が勝手にやっていることだから、自分たちにはどうしようもない」という返事が返ってきたそうだ。そんなばかな。 写真右は、山を切り崩して採られた砂利の山。先ほどの写真の海域の全てを埋め立てるためには、沖縄本土の採石可能な山を全て切り崩しても間に合わないため、他の県の山を切り崩して、そこで採った砂利を沖縄まで運んでくるのだそうだ。何と莫大な費用がかかることであろうか。国民の税金を使って神様が造った山を切り崩し、その砂利で海を埋め立てるとは、これほどの神に対する冒涜があるであろうか。しかも、鹿児島県大隅の採石場の跡地には、放射性廃棄物を埋める予定だそうだ!!!

2.伊江島

 写真左は沖縄の基地反対運動の原点ともいえる伊江島。基地建設のために土地を奪われた農民が、阿波根昌鴻を中心として、非暴力による土地返還要求を続けてきた。写真右は阿波根の立てた「団結道場」。阿波根は、《単に被害を訴えるだけの受身の運動ではだめだ、もっと積極的に人を変えていく運動とならなければならない》と言い、そのような運動の担い手を育てるために「団結道場」を作った。

 反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」(写真左)では、阿波根のそのような戦いの軌跡を学ぶことができる。そこの館長、謝花悦子さん(写真右中央)は私と意気投合し、その戦いの思い出や島の現状を熱く語ってくれた。伊江島の基地反対運動は今、たいへんな逆境の中にあるそうだ。島の人たちの大半(約90パーセントと言われている)は島の悲惨な歴史を外部の人たちにも子供たちにも語らなくなっている。基地があることによって膨大な補助金が政府から出る上、地主たちは米軍からではなくて政府から地代をもらうことができるからだ。これらのお金によって島は、かなり潤っている。このような恩恵を受ける島民たちが基地反対運動から離脱してしまったため、反対運動を続ける謝花さんたちは孤立状況にある。さらに、修学旅行でここを訪れる子供たちも激減しているそうだ。教師たちが平和教育をしなくなったし、それにつれて子供たちの興味も戦争や平和には向かなくなっている。以前は日本中から子供たちがここを訪れ、伊江島の歴史について学んでいったのだが、今やここを訪れて熱心に学ぶのは愛真高校と独立学園の生徒たちくらいだそうだ。日本の教育状況の悲惨さを思わされると同時に、これら二つの高校の重要さを思い知らされた。

3.普天間基地ゲート前・ゴスペルを歌う会
 住宅地に隣接する普天間基地のゲート前では、キリスト者によって毎週月曜の夕方にゴスペルを歌う会が開催されている。これこそ、米軍基地に反対する究極の方法であると思う。武力に真に打ち勝つものは、イエス・キリストが十字架の上で示したような命を懸けた優しさと神だけを頼みとする聖らかさである。ここには基地反対運動を貫く非暴力不服従の精神と相通じるものがある。このようなゴスペルは、必ずや兵士たちの心に何かを残しているはずだ。

 4.米兵の住宅地
 嘉手納基地の周辺には、米兵たちの贅沢な住宅がある。左の写真は、オーシャンフロントのリゾートホテルのようなマンション。各部屋はアメリカ並みの大きな間取りになっており、家賃は月50万円ほどだそうだ。これらの部屋の家賃と光熱費は全て日本政府が出している。つまり私たちの税金でまかなわれているという。しかしそれよりも驚きなのは、これらの部屋の大家は全て日本の大手の不動産会社であるということだ。沖縄に米軍基地をとどめておこうとする日本政府の真の思惑は、この辺りにあるのではないか。

 5.戦跡ツアー
 「沖縄戦、その初めから終わりまで見るツアー」という素晴らしいツアーがあり、それに参加した。初日には、米軍が上陸した読谷に始まり、嘉数高地、前田高地、大名高地とめぐり、首里の司令部へと戦線をたどっていった。途中には、チビチリガマやシムクガマといった主要なガマにも周った。このように詳細に戦跡をたどってみると、かつての日本軍の恐ろしさと狂気が具体的に分かってくる。中でも恐ろしく思われたのは、敵の戦車を通常の兵器で撃退できないと分かると、地元の住民や子供たちに爆弾を背負わせ、戦車の下にもぐりこませて爆破したという話だ。しかも正規兵はこういうことは自分ではせず、全て住民や子供たちにやらせていたそうだ。

 もう一つ学んだのは、これらの重要な戦跡のほとんど全てがきちんと管理されていないということだ。政治的理由から過去の愚かさを隠そうとしているのか、管理する費用がないのか、住民たちが触れられたくないのか、その理由は微妙なところだが、どんな理由があるにせよ、このような重要な戦跡が放置されているのは、あってはならないことである。写真は、140人ほどの村人が避難し、そのうちの83人が集団自決で命を断ったチビチリガマだが、ここも放置状態であり、ガイドがいなければそれがどこにあるのかも分かりないほどだ。事実、私が訪れた一月後、心ない若者たちによって荒らされてしまった。

 写真左は、第一防衛ラインの嘉数高地にある日本軍の地下基地入り口。写真右は、第二防衛ライン前田高地の頂上付近。アメリカからはハクソー・リッジと呼ばれており、最近メル・ギブソンの映画にもなった激戦地。これらの場所も記念碑がいくつかあるだけできちんと管理されていない。

 写真左は第3防衛ライン五十二高地(アメリカ人はシュガー・ローフ・ヒルと呼ぶ)。ここは日本軍最後の防衛線であり、米兵からは精神病になる人が続出するほどの激戦が行われた場所だ。しかし今やその名残をとどめるものは何もない。ビルが立ち並ぶ真ん中に小さな公園があるばかりである。写真右は、観光地と化した首里城の守礼門の裏手にひっそりと残る日本軍司令部の入り口。極めて重要な戦跡であるにもかかわらずここもほったらかしであるため、荒れ放題。この司令部で、恐るべき決定がなされた。追い詰められた日本軍司令部の大半は米軍に立ち向かい、玉砕して死ぬ決意であったが、一人の高級仕官がそれに異を唱えた。《我々は沖縄の住民を守るためにここに来たのではない、天皇陛下を守るためにここに来たのだ。だとすれば、玉砕などして良いものか。天皇陛下への敵の進軍を少しでも遅らせるために、沖縄全住民を交えてゲリラ戦を展開しようではないか》。この言葉に他の高級士官は誰も異を唱えることができなかった。「天皇陛下のため」と言う言葉を出されては、誰一人反論できなかったのだ。この一言によって沖縄の運命は決せられた。沖縄は住民をも巻き添えにした絶望的なゲリラ戦へと突入していくこととなったのだ。このゲリラ戦のために沖縄の住民の犠牲者数はそれまでの4倍へと跳ね上がる。学徒を戦争に利用した鉄血勤皇隊や従軍看護隊の悲劇もここから生み出されたのだ。

6.むすび
 全体を通じて考えさせられたことは無数にあるが、今敢えて触れておきたいと思うのは、次の二つのことである。一つ目は、やはり武力に打ち勝つものはやはり武力ではないということだ。沖縄の人々は、総じて紳士的な態度で反対運動を展開している。日本軍や米軍からこれほどひどい目に合わされたなら、普通なら暴徒と化し、暴動やテロに訴えるであろう。ところが沖縄の人々はどういうわけかそういう方向に向かわない。阿波根昌鴻や瀬長亀次郎に代表されるように、あくまで非暴力で、言論によって、歌によって、人間としての礼節を守りつつ、抗議に訴える。粘り強く、根気強く。聖書に言う「柔和な人たち」とはまさにこのような人たちのことを言うのであろう。ここには十字架にかかりながらも、相手を赦し、神に従う意志を貫いたイエス・キリストに通じる何かがある。武力を最終的になくすものは、やはりこのような柔和さであろう。基地に反対し続ける沖縄の人たちはそのことを教えてくれた。

もう一つは、戦争の原因についてだ。日本がアメリカと戦わざるを得なくなったのは石油を確保するためであるというのが、今や常識である。政治・経済のレベルで考えれば確かにそうであろう。しかし、私が今回教えられたのはそれとは全く異なる、宗教的な原因である。日本人は天皇という神ではないものを神として仰いだ。ここにこそ、究極的な戦争の原因があるように思われた。平和祈念資料館には戦争体験者の生の声が無数に収録されている。それらに耳を傾けていて繰り返し出てくる言葉は、《おかしいとは思いながらもそのことを口に出せなかった》というような言葉だ。非国民と呼ばれ、天皇の敵とみなされたらおしまいだという空気が日本中にみなぎっていた、だから誰一人日本軍のやることに反対できなかった。これこそ神ではない天皇を神として仰いだことの報いである。そしてここにこそ、この戦争の究極の原因があると思わずにいられなかった。先ほど述べたように、日本軍指令部の高級士官たちでさえ、「天皇のため」という空気には反対できなかった。ましてや一般庶民がどうしてそのような空気に逆らうことができようか。

今や、再び指導者を神と仰ぐような風潮が世界に蔓延している。キム・ジョウン、プーチン、シュウキンペイなどは、各国において神のごとく崇められている。そこには指導者に逆らえない空気がみなぎっている。トランプもそれを目指そうとしているかのようだ。これは明らかに戦争の兆候である。

これらを食い止めるためにはどうすればよいのか。やはり、本当の神は聖書の神でしかありえないことを伝えていくしかあるまい。そのためには、沖縄の人々のようにイエス・キリストの精神を全身で示していくほかはあるまい。